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BNN – 悪寒                    2012年1月13日

「ロリンズ(Rollins)の頼みをきいてやるのもこれまでかな……」自分の友達を連れて行ってやって欲しいと書かれたロリンズからのメモを見ながらビクター(Victor)は言った。強い突風が吹きつけて来たので、馬たちの方へ目をやり、馬具の留め具に問題がないか四度目の点検を行う。空を見上げると、天空から地上への贈り物が届きだしそうな気配だった。馬車の御者台に戻ろうとよじ登りながら、彼は呟いた。「俺の望みはただ一つ、このシェリー(Sherry)さんとやらが、荷造りを終えて出発準備を済ませてるってことだけだよ」

「あら、わたしならちゃんと準備してここにいるわよ」

「なんだって!」驚きのあまり心臓が口から飛び出しそうになりながら叫んだビクターが、声の聞こえた辺りを見下ろすと、そこにはちっちゃな灰色のショールを肩に羽織った小さな茶色のねずみが居た。パチパチと何度かまばたきし、ゴシゴシと目をこすってから、ようやく目の前の現実をビクターは理解した。「あ……、あんた、あのシェリーかい! あの、『ねずみのシェリー(Sherry the mouse)』なんだな?」

「そうよ! ユーは歩いて行くにはちょっと遠すぎるから、同じ方向に行く人がいないか聞いてまわったの。それであなたのことを知ったってわけ! 乗車許可をいただけないかしら?」シェリーは短くチュチュッと鳴いた。ビクターはそれを彼女のクスクス笑いなのだろうと解釈することにした。彼女が乗れるようビクターが手を差し伸べると、シェリーは素早くよじ登ってビクターの隣にちょこんと座った。ピシャリと鞭を打って手綱をさばき、ビクターは馬車を出発させた。

馬車の音に驚いたシェリーは一瞬チュウと鳴いた。幾分恥ずかしそうではあったが、ひづめの音にかき消されないくらいの大きな声で話した。「ごめんなさい! だれかの上に乗せてもらうなんて、久しぶりなものだから。馬車がこんなに速いなんてもう忘れかけてたわ! ところで、最近の景気はどう?」

声を落とせという仕草をビクターがしたので、シェリーは自分の軽率さを恥じた。その後、ひづめの音にまぎれるくらいの小さな声でビクターは話し始めた。「それは……、良かったり悪かったりだな。商品の売値は上がってるんだが、最近は街道が物騒になってな。目的地にたどり着けない商人がわんさかいるんだ。俺たちも用心しないといけない」ビクターは長いため息をつき、太陽が沈むにつれて暗くなっていく道の向こうを見やった。「バーチューベイン(Virtuebane)を倒すための団結だの結束ってのは、あっという間に消えちまったみたいだなぁ。貴族連中の対立ときたら、前よりもひどくなってる」

それを聞いてシェリーは浮かぬ顔になった。馬車の下でたちまち過ぎ去っていく道路を見下ろした後、再びビクターを見上げた。ビクターはしっかりと前方の道を見据えていたが、その両眼は何度も森の暗がりに素早い視線を走らせ、危険が潜んでいないか探っていた。ビクターが再び話し始めたので、話しかけようとしたシェリーは遮られた。

「この国には猜疑心や緊張が山ほど渦巻いてる。何十年もの間、取引相手として、“家族”としてやってた奴らですら、商売をやめてまで争い始めたのを、俺は知っている。もうこれを止める手立てがあるとは思えないんだ」自分の言葉によって身中に何かが呼び出されたかのようにビクターは身震いした。わずかな間、シェリーは彼を見つめていた。

「どういうこと? どんな問題があるの?」

ビクターは憑かれたような、拷問に苦しんでいるような目つきになり、話し始める前に深く息をしたが、シェリーとは目を合わせようとしなかった。「シェリーさんよ……、俺が先週ベスパーで経験したことを聞いてくれ。いつかは誰かに話した方がいいことだと思うんだ。あれは、特にどうってことのないある出会いが始まりだったんだ……」深く息をついてからビクターが語り始めた時、シェリーはまさに自分の目の前で事態が明らかになろうとしていると強く感じていた。

ビクターは橋の上で立ち止まり、南の海を見た。水平線と船を見てとった直後、誰かが近づいてくる音が聞こえた。だが彼はその音に注意を払わなかった。その女性が立ち止まって橋の上に手を休め、つば広帽子で顔のほとんどを隠しながら彼と同じように海を見つめていることに気づくまでは。遠くで雷鳴が響いた時、女性は言葉を発したが、声が非常に小さかったので、ビクターは全く聞き取ることができなかった。「え、なんですって?」

「嵐が来る」

ビクターは快活に笑った。「ベスパーじゃ珍しいことじゃありませんよ」彼は何気なくその女性を見たが、彼の方に向き直った彼女の顔を見たとたんに、ビクターの顔から笑みが消えた。そのジプシーの女性の歯をむき出した笑みは、邪悪な様相に見え、どんよりと濁った白い目は彼に恐怖を抱かせた。明らかに盲目であるはずなのに、その凝視は体の奥深くまで突き刺さってくるようだった。次に彼女が発した質問を耳にし、彼は人生の中で最大の動揺を引き起こされた。

「坊や、未来を知りたいかえ?」

ゴクリと唾を飲み込み、ビクターはポケットに手を入れて何枚かのコインをつかみ出し、同意のうなずきをしながら急いで女性に手渡した。その瞬間、子供の頃に聞いた占い師や託宣者の物語が全て思い出され、自分の行動に無礼があったことに気づいて彼は再び唾をのみこんだ。

「あ……あぁ、知りたい」

ジプシーは未来をのぞくため、腕を上げ、なにやら手で魔術的で神秘的な動きをした。それにつれて彼女の肩にかけられたショールはひらひらと揺れた。低く枯れたささやき声を出しながら独特の動きを見せる彼女に、彼の目は釘づけになった。

「人々が立ち上がる。人々が崩れ落ちる。その間、呼び声を聞くものは誰もおらぬ。雷雲は集う。その力は増す。だが、この危機に対処しようと進み出る者は誰もおらぬ。続き起こる暴風、稲光。それは、引き起こされた破壊の余波である。われらの生存へと続く道は開かれる。だが、苦悩なしには開かれぬ。火が上がる。われら全てを脅かす。この突風をなだめる手立てが見つかるまでそれらは続く」彼女の言葉には不気味なリズムがあった。言葉の終わりに近づくにつれ、その独特な動きも収まり始め、まるでビクターの反応を待っているかのように、震える彼を見つめていた。

「わ……、わからない。俺たちが何をするっていうんだ?」体の芯から恐怖が湧きあがるのを感じて我を忘れ、ビクターは一瞬声を震わせた。ジプシーは胸の
あたりで腕を組んでわずかに頭を下げたので、帽子が彼女の顔を隠し、ビクターには口元しか見えなくなった。再び彼女が話し始めた時、その唇はとてもゆっくりと動かされた。今度は先ほどの予言のような詩的なものではなかった。

「運命の炎が熱く、まぶしく燃え上がるだろう。そして、命限りある者の手ではこれを止められぬ。これらの炎が何をなすのか、それを決めるのがわれらの義務なのだ」そう言うなり、彼女は橋の向こう側へと歩き去り始めた。だがビクターの叫びで彼女は足をとめ、肩越しに一瞬背後へ目をやったように見えた。

「どういう意味だ? まだわからないよ!」

「炎は破壊と構築の力。我らの不純を焼き払うこともできよう。だが、ぐずぐずしていれば、何も残らない」そう言い残すと、この盲目の占い師はしっかりとした足取りで歩み去っていった。ついさっきまでより、寒く、過酷になったように感じられるベスパーの街の中へ……。

ビクターは話し終え、シェリーはこの御者に悲しげな一瞥を送った。まるでその女性の声が聞こえたような気になり、小さな体を震わせた。シェリーはかける言葉を何も見つけられず、その代わりに好奇心を持った目でビクターの顔を見つめた。彼の顔には不安と苦悩が浮かんでおり、それらが彼女にも感染しようと手招きしていると思えた。

焼けただれ、矢で無数の穴をあけられた他のキャラバンの残骸が道沿いにあり、そのそばを通るとビクターの落ち込んだ表情はさらに暗くなった。突然雷鳴が鳴り響き、雨粒が馬車にまだら模様を描き始めた。ビクターは幌が掛けられた部分を指差した。「あそこに入るといい。寒くないし、濡れずにすむ。着いたら知らせてやるよ」

シェリーは何も言わずに馬車の中へとよじ登り、つぎはぎだらけのボロボロの幌にあいた穴の下は避けて、中にあった麦わら束の上で丸くなった。馬車のおかげで暖かく、濡れずにすんだが、シェリーは体の内側から沸きおこってくる冷たさに震え、苦しんだ。シェリーが眠りについた時、彼女に訪れたのは悪夢ばかりだった。

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